201808/30

子連れ独立女性がハヤリはじめたのは何のせいか

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独身女性

「理想の男性とめぐり会えない」ことを嘆く女性は多い。強くて、格好よくて、経済力があって、加えて優しいオトコ。そんな奴がいるかどうかは別問題としても、周囲にいる独身男は皆イマイチだし、イイ男に限つて結婚ずみ。

だからといって安売りしたくないの、といっている間に歳を取ってしまう私って何? といったところか。

そんな中から、最近の傾向として「男には頼らないで子供を生み育てる」強い女が増えている、とよく聞かされる。望まない相手と結婚して成り行きで子供をもうけるより、気に入った既婚男性のタネをもらって自分の力だけで生み育てる。昔なら「妾腹の子」となるが、そ―いう発想そのものが全然古い、もっと自由に生きなきゃ、と主張する子連れ独立女性というわけなのだろう。

その生き方には何の注文も意見もないのだが、じつのところ「ススンだ女の人生設計」というより、「やっぱリメスとしてのDNA」ということなのかもしれない。社会生態学の研究者から、そんな現象が報告されている(鳥類学者の山岸哲氏による)。たとえば渡り鳥のオオヨシキリは、春先に、南から帰ってきて巣を作り繁殖行動を行う。

まずオスの群れが戻ってきて適当な場所に巣を作るのだが、理想的な営巣ポイントは限られるから、強いオスから順に「安全で食料も多い環境バツグンのマイホーム」を作る。出遅れるほど、そして力強さに欠けるほど、危険で劣悪な環境に巣を作らざるをえなくなる。

さて問題は、そんなところに戻ってきたメスの行動である。いち早く環境抜群家庭の主婦に収まったものはよいが、出遅れて「理想のオスとめぐり会えない」状態に置かれたメスは、ある決断を迫られる。

選択その一。独身オトコには違いないが、どう見ても巣は貧弱だしヘビなどの外敵が心配な環境にある。そんな、ちょっと頼りないオスと一緒になって、 一緒に苦労しながら子育てに励むことになる。

選択その二。さすがオトコはこうでなきやという立派な〃なわばり〃を持つ既婚オスの所に身を寄せる。この場合、二号さん(この場合は第二雌というのが正しいらしいが)だから、オスに育児の手伝いをほとんど期待できない。それでも、環境が良いため自分の力で食って、子供を育てていくことができる、という利点がある。

以上、二つの選択肢のどちらを取るか。鳥類一般としては、9割以上が「難点はあってもカップルで子育て」と一夫一妻制を選ぶのだが、オオヨシキリの場合は「既婚オスの子を産む」第二の道を選ぶことが珍しくないという。理由はいくつかあるが、要するに、エサが豊富にあって子供を育てやすく、育児にも手が掛からない、といった条件が重なりやすいためらしい。

早い話、ちゃんと食えて育児の苦労も軽くなるほど、「オスの資質を観察するメスの目が厳しくなる」といえる。なんのことはない、これと同様の現象が人間社会でも日立ち始めたということ。……なのだが、「黙っていてもオンナが転がり込んでくるオトコ」の条件は、人間社会の方が複雑なところが大問題だったりする。

ババァは有害だ説の、だんだん恐くなる展開

石原慎太郎・東京都知事が、「ババァは有害な存在だ」と広言して、百十九人もの女性集団に訴えられたそうだ。このニュースを伝えた新聞によれば、騒ぎの発端は女性週刊誌に掲載された都知事のインタビュー記事。

この中で石原氏は、東大教授が言ったこととして、次のような内容を話している。「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア、なんだそうだ。女性が生殖能力を失っても生きてるってのは無駄で罪です、って」

これを読んで「女性の人格を否定し、名誉を棄損する」と怒った二十歳から七十歳までの女性百十九人が東京地裁に提訴。″精神的苦痛料〃として千三百万円の損害賠償と、謝罪広告の掲載を求めた。これに対して石原知事は「(教授の説は)それなりに論理が通っていると感心したので、紹介しただけだ」と、記者会見で反論している。

このバトルはいかなる方向に転がるのか。知事の肩書で行われた点がケシカランとされているので、訴訟の行方は見当がつきにくい。だが、少なくとも生物学的にアプローチする限りでは、石原氏がいうように「それなりに論理が通っている」。

あまりに有名なイギリスの動物行動学者リチャード・ドーキンス。「生物はDNAの乗り物にすぎない」とする彼の登場によって、動植物が生きている理由の説明が大変シンプルになった。要するに「生物の存在の目的は遺伝子の複製であって、個体が生存することではない」。自分がもつ遺伝子を最大限。最大量、次世代に伝えることを最重要使命として生きている、それが生物というものであるというわけだ。

この論からみるならば、生殖能力を失った個体は「存在理由をなくしてしまった存在」といえる。そして生殖能力とは関係なしに、食料など資源エネルギーを消費しているのだから、生殖力旺盛な若い世代のジャマをしていることになりかねない。

このような″高齢者生き残り現象″は、種全体に負担がかかるコストアップ要因だから、無駄な存在として人間以外にはまず見られない。こうして、セックスしても子孫を生む能力がない、あるいはセックスする機会そのものがない、そのような老個体を動物一般の中で捜すのは難しくなる。

罪かどうかは別として、だから「ババアは文明がもたらした有害なもの」といわれてもしょうがないだろう、という論理が成立することになる。もともと、女性の人格とか名誉といつたレベルの話ではないのだが、例の″石原節〃に乗った話だけに、カチンと来た人がいたというところか。

それにしても、ババァが無駄な存在だとすれば、ジジィはどうなのか。これまでの説明で理解されたと思うが、生殖能力を失っていれば「同じく有害な存在」としかいえないだろう。

いやそれどころか、動物一般の特徴としてオスは自分で出産できない。だから、生殖能力の有無以前の問題として「生殖機会を得る能力」の有無が、まず試される。となると、人間社会には有害な〃若ジジィ〃がゴロゴロいるといった具合に、話はどんどん恐くなっていく。

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