歳とるほど元気なオバハン、自信喪失オヤジができる生物学

セックストラブル

「女は子供を産むと急に強くなる」とは昔からよく言われること。夫の始末をしてやる暇があったら、子供の面倒をみるほうが、どれほど意味あることか、しっかり顔に書いてある。

とてもじゃないが母性本能には勝てない、というのが放ったらかされた男どものセリフの定番である。

しかし、事態はそう簡単ではないことが、その後の経時変化(つまり歳を取ること)のなかで続々と起こる。

女は夫婦関係だけでなく対社会関係においても、なぜか自信満々の度合いを増し続け、ついには怖いものナシとなる。

ところが男のほうは、なぜか自信喪失の度合いが酷くなり、ついには上役どころか女房に対しても伏目がちとなる。

切符販売機に面と向かってからドツコイショと財布を取り出すのがオバンの習性なら、列に並ぶ前に販売機の使い方を垣間見て学習するのがオジンの癖というわけ。

この「男と女における経年変化のギャップ」は、母性本能の有無といった生易しい理由だけでは説明がつきそうもない。

そもそも、生物のなかでオス・メスという〃二つの性″を持っているのは高等生物だけ。

「なぜオス・メスによるセックスという面倒な手続きをしないと繁殖できないのか?」は(楽しいからに決まっているとの世論とは別に)学問上の大問題となっている。

受精させるだけで、自分では妊娠する能力もないオスは、繁殖コストからみたら″ムダな投資″としか見えない。

不明な存在価値をどこに捜せばよいのか、学者の間にも定説はない。

実際、生物界を眺め渡しても、相対的に「オスの立場の軽さ」は覆いようのない事実。

昆虫類では繁殖期間だけオスが現れたり、緊急時には単為生殖といってメスだけで生んでしまう種も珍しくない。

同様な現象は魚類や両生類の一部でも見られる。メスがいなくては種の存続そのものが不可能だが、オスは必ずしも必要ないというのが生物界の一般論なのだ。

さすがに人間の生殖は単為生殖では困難だ(といわれる)から、「男とは精子をバラ播く性」などと一時は呑気なことを言ってられる。

ところが父親となった途端から、「我が家の子供は本当にオレの分身か?」という疑問から、完全に自由になることはできない。

DNAを将来につないだと断言できるのは、女だけの特権なのである。

さらに決定的なのは、生殖年齢を過ぎたオスには何の役割も残っていない、という動物界の冷徹な現実である。

メスでは「上がってしまった女に用はない」と言うのは人間界の男のセリフで、群れをなす動物種では代理母や保母役を務めることが珍しくない。

サルやクジラの類でも、その種の働きが観察されている。

つまり、我が子の出産。育児を終えたら、経験を活かして堂々″社会参加〃するのはオバンの特権。

オジンに残された道といえば、どこかのシンキロウ首相のような「群れのボス」しかない歳とるほど世間で元気なのはオバンに限る、というわけである。

女の特技「ごった煮的仕事のやり方」はなぜ可能か

「待ちかねた」か「また来たか」の″歓迎度″は人によって異なるだろうが、とにかく年の瀬が迫っているのは間違いない。

で、この時期を家庭で過ごす亭主族が改めて感心することになるのが、女房という女性にみるマルチタスク・マルチプレイぶりである。

「ねえ、さつきから一カ所に座ったきりだけど、何をしているワケ?」と女房。

「何をって、その辺を片付けろっていうから整理してんじゃないか」とは亭主。

「年末で忙しいんだから、いつまでも同じことやってないで、他の手伝いもしてよ。ホント融通性かないんだから、モウ」。

こう言う女房を見ると、洗濯機を回しながら台所仕事の真っ最中なのだが、テーブルにお茶の用意をして菓子折りが開かれている。

おまけにテレビのワイドショーの人生相談を聞いて、「そんな男捨てちゃえば」なんてコメントしながら、子供に買い物の指示を出している。

こうした″ごった煮″的な仕事のこなし方は、何といつても女の特技だ。

一つ事を手がけたらトコトンこだわってしまう男の行動を″逐次処理〃型だとするなら、女は典型的な〃平行処理″型。

「Aの次はBで」と順を追う男の発想をあざ笑うかのように、「AもBも同時に」平気で処理してしまう。

この違いは、いったいどこからくるのか。

「男の脳は女の脳から作られる」「男の原型は女」という事実をご存じだろうか。

ヒトの原型は身体構造も脳の構造もメス型で、妊娠中と出産直後に(遺伝子の働きによって)男性ホルモンのシャワーを浴びることで初めてオス型となる。

生殖器を代表に身体が男性となるのだが、脳の男性化にあたっては機能の″極在化″が起こる。

言語機能などを持った思考回路が、大脳の場所ごとに画然と性格分けされる。

つまり女の脳としては、右脳と左脳の役割分担が明確でなかったり、それぞれの機能ごとの境界線が曖味だったりするものがある。

それが男性ホルモンの作用によって男性化する時に、区画整理が進められるといってもよいだろう。

その結果として男では、脳の特定部分を独占的に使うことで思考が進展するようになる。逆にいえば、あることを考え始めたら他の対象に対する思考回路が働きにくくなる。

一つが終わらないと、次の行動に移れないのだ。

ところが女の場合は、そもそも脳の機能の極在化が緩いため、 一つの事に占領されてしまう脳部分といったものが少ない。

逆にいえば、ある部分の脳を使っているとき、同じ部分に異なる働きをさせるのも、男に比べれば容易ということになる。

こうした特性の違いによって、男は一つ事に熱中すると他が見えなくなるが、女は多方面に同時に熱中するという現象が起こる。

女から見れば、男はなんてグズなんだろう。男から見れば、女はなんてイイカゲンなんだ……。

そんな認識のすれ違いが元で、せっかくの年末年始が台無しにならぬよう祈る。

ダメ男も多いのに、女より男がホントに「多才」か

「男もいろいろ〜、女だっていろいろ〜」と歌うのは島倉千代子サン。

男だけじゃなく女にだって、さまざまな人生があるのさ、というわけだ。

しかし実社会を見る限りさまざまな分野で「咲き乱れ」ているのは、圧倒的に男が多いというのが現実。

政治、経済の分野や学界はもちろんのこと、芸術、芸能といった文化面などまで、多くの分野で突出しているのは男たち。

多方面での活躍ぶりという点で、女性群の劣勢は明らかだ。

といったわけで、今回は「男の知性・女の知性大比較」の第二弾を試みたい。

主テーマは、はたして男は女より〃多才″か?

前回、理論的な理解や推論の能力が必要な数学的才能では、男のほうが平均的に高い能力を示すという研究を紹介した。

これは、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学の研究者グループが、世界的な科学誌の『サイエンス』に寄稿した論文だった。

数学の能力をみるグループテストで、トップグループがほとんど男性によって占められた。

これは男女の社会環境の違いだけの問題ではなく、〃脳の性差〃と考えざるを得ないと結論。

性差別論まで飛び出すなど、社会的な反響を呼んだことでも有名だ。

この例に限ることなく、遺伝子の影響が強い〃脳の性差″の調査研究として、「知的能力において、男性の方が女性より多様性がある」との報告が多く見られる。

つまり、自然科学、社会科学、技術理解、など各方面での男性優位を報告する研究が見られる。

もちろん女性優位の分野もあるが、たとえば書字能力や計算能力といったように、面白味に欠けるものが大半。

いってみれば″秘書的能力〃であって、 一躍スターの資質というわけにはいきそうもない。

いってみれば、男には色々な人がいて色々な特技を見せるが、女には突出した才能の持ち主が少なく、標準タイプみたいなのばかり目立ってしまうのだ。

この理由も、男の脳は女脳から作られる、という現象に無関係ではなさそう。胎児の時と出生直後に、脳が男性ホルモンのシャワーを浴びることで男性化。

これによって、各機能が脳のなかで整理されて局在化する、という例の現象だ。

じつはこのシャワーを浴びるタイミングが、人によって微妙に異なるらしい。

それが、まさに脳細胞が猛烈なスピードで育つ時期とあって、少しのタイミングのズレが大きな〃脳力″の違いとなって現れる。

数学的才能が突出する人、芸術的センスが突出する人と、さまざまな結果を呼ぶ。

女性の場合、この「脳を加工するホルモンシャワー」がないから、未加工のスタンダード脳として育ちやすい。

そのため、常識的かつ標準的な才能の持ち主が多くなる、というわけだ。

こうして、男のほうに色々な才能が見られるようになる。……だが、これって「どうしようもない変な奴も男に多い」現状を説明する立派な材料にもなってしまうわけだ、やっぱり。

「発情期を失ったサル」が仕掛けるのは男か女か

どうして男って皆、そろいもそろって、女と見ると片端から、イヤらしい日でジロジロ眺めるわけ?」「何いってるの。どうぞ見て下さいといわんばかりの格好で、男を誘ってるのは女の方じゃないか!」

というわけで〃仕掛けるのは男か女か〃論争では、オスの論理とメスの論理が食い違ったまま決着がつかないことが多い。

事態がセックス・トラブルにまで及んだ場合でも、「押し倒された」のか「色気で誘われた」のか判然としないケースがほとんど。

果たして発情の源はどっちなのか。

これがサルなどの性行為となると、メスによる誘惑で始まることになる。なにしろ彼らは平常時ではソノ気にならず、発情期の間だけ生殖にいそしむという特徴がある。

メスのソノ部分が充血で膨らんで目立ちやすくなり、何とも芳しい香りが立ち込める(らしい)ことで、オスの脳内にある性中枢が刺激される。

馬や犬でも同じで、蚕の親のカイコガのメスともなると、性フェロモンの香りが何と十キロ四方に及ぶという。

こうしたきっかけによって性的興奮が呼び起こされてからがオスの出番で、メスにのしかかったり押し倒したりといった性行動が展開される。

もっとも大半の動物では、集まった多数のオスによる″勝ち抜き戦″の勝者だけが、選ばれた者としてめでたく結ばれるという厳しさなのだが。

では、「発情期を失った裸のサル」としての人間の場合はどうか。

もし女性から性フェロモンが放出されているのなら、男性は「誘われて立つ」ことになるのだが、ヒト・フェロモンの有無については決定論が出ていない。

臭覚が不明なら視覚という手もある。

著名な生物学者デズモンド・モリスはこう説明する。

「二本足で立ち上がってヒトニザルになったとき、メスとしての特徴が前を向いて見えやすくなった。つまり、乳房と性器(の位置を示す性毛)はヒトの性的ディスプレイとして目立つ方向に変化した」。

人間だけが正常位として、向かい合って行うのもその結果というわけである。

そして裸のサルはいつの間にか肉体を隠すようになり、現代のフアツション時代に至つた。

そこでの新たな″性的ディスプレイ″が女性の装い、という説を支持するならば「見せつけて誘うのは女」との判定で、分かりやすいといえば分かりやすい。

しかし当然だが、異論もある。

人間が他の動物と異なる最大特徴である「記憶。学習力と豊かな情感」が性行動に大きな影響を与えている。

「女とはどんな存在でセックスとはどのようなものか」男は大脳でしっかり学んできているのだから、相手から誘われなくても″脳で欲情″する。

つまり女が目に入れば、自動的に「したい気持ち」が発動される。あからさまに眺めるか、そしらぬ振りで観察するかは、理性の出来かた次第というわけだ。

ところでこの問題、どちらが先かの結論が出てしまうより「実は同時だった」という方がメデタイような気がするのだが……。

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