201809/01

女性が喜ぶと思って言った言葉が大きな間違いをしてしまった後始末

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女性が喜ぶしぐさ

男性がよくやってしまいがちな失敗の一つに「喜ばせようと思って言ったら、なぜか怒られた」というものがある。つまり、「こう言えば喜ぶだろう」と思って言った男性のひと言が逆に女性を怒らせる結果になってしまった、という失敗だ。

それが女性同士のトラブルに関わって不用意な言葉をかけた場合、男性は100パーセント被害者になるといっていいだろう。その手のトラブルに巻き込まれたら最後、無傷で生還はできないと思っていい。こうしたときは「いかに小さな傷を負うだけで済むか」という覚悟が必要になる。具体的には、こういう場合だ。

女性同士というものは、普段は群れで行動をするのを好むのかと思っていたら、決してそうとは限らず、群れの内部で足の引っ張り合いが起こるときがある。仲良しグループで行動していたところ、その中の一人に恋人ができてしまったために、なぜかグループが解散してしまって今では国も利かない、というのもよくある話。

女性間での友情が時として生まれにくいのもこういったことがあるからだ。ここには「嫉妬」が介在する。女性の場合の嫉妬の形は男性とは少し違う。「どうして彼女だけが幸せになれるわけ? 私のほうがカワイイのに!」と足を引っ張る形の嫉妬の仕方になることが多いのだ。

古代から群れや集団で生活する女性の文化では、誰か一人が集団から出て恩恵を受けることをよしとしていない。抜け駆けをせずに、全員ヨコ一線に並ぶことで安心しながら暮らしているべきと刷り込まれている。このような女性同士のトラブルに巻き込まれるパターンは決まっている。「ちょっと、聞いてよ」と群れの中の一人から相談を持ちかけられ、抜け駆けをしようとした女性の悪口をさんざん聞かされるのだ。

女性に相槌をする男性。

このとき、男性は注意しなければならない。よかれと思って、安易に相槌を打たないことだ。不用意な相槌一つで、自分の立場まで悪くなってしまうことがあるからだ。たとえば、「そんなに言わなくてもいいんじゃない?」は論外のNGの相槌だが、「ボクもそう思うよ」と賛同の相槌を打つのもNG。翌日からは、あなたの意見を楯にした攻防戦が繰り広げられ、知らない間にどちらかの側の代表者になっているという可能性だってある。

女性同士のトラブルに巻き込まれたときは、「この相槌を打てば、喜ぶんだろうな」「正論はこうだろうな」という思いは捨てて、「そうなんだ。大変だね」と無難に聞き流すのが一番の解決策であり、自分を守る唯一の方法なのである。女性に対して決定的な意見を言わないこと、あるいはそういうように思われる態度を取らないこと、これが処世術である。

賢い男はとっさのひと言、会話力で女を味方にする

トラブルを抱えた女性の前では、基本は聞き役。意見を求められても、「大変だね」とどっちつかずに返すのがベストアンサーなのだ。

根本的に、多くの男性が勘違いしていることがある。それは女性から持ちかけられた相談事に関する対応の仕方についてだ。結論から先に述べると、女性から相談を持ちかけられた場合、内容がどんなことであっても、ベストな対応策は一つしかない。「アドバイスを送らないこと」である。半信半疑な男性が多いようだが、女性からの悩みにアドバイスを送ってはいけない、これは黄金のルールである。

たとえば、仕事の悩みを打ち明けられたとしよう。「理解のない上司が私のことを評価してくれないの。会社を辞めようか迷っている…… 」という場合、普通の男性なら「一度、上司とちゃんと話し合ってみてはどう?」とか「努力してもダメなら転職を考えてはどう?」などと、至極まっとうなリアクションを取るのではないだろうか。

もちろん、これらの返答は間違ったことを言っているわけではないし、彼女のためを思えばこそ、の意見だろう。ところがこれらは、女性にはまったく嬉しくないことなのである。なぜなら、それがすべて〃アドバイス″だからである。女性たちにアドバイスは不要であり、心を込めたつもりの返答は女性たちからみれば「余計なひと言」なのである。

では、女性は相談相手である男性に何を求めているのか。それは「話を聞いてもらうこと」であるが、男性にしてみれば「そんなくだらないこと?」なのである。実際、この手の話の場合、この女性は本当に会社を辞めるつもりはないし、上司にかけ合う気もない。ただ、理解されない不遇な境遇を一緒に嘆いてくれる人を欲しているだけであり、「そうなんだ。大変だね、気持ちわかるよ」と心をいたわってくれて話を聞いてもらえれば、それでスツキリ。翌朝はまた元気に同じ職場に顔を出しているのである。

それを、「辞めろ」だの「上司と戦え」だの見当違いなアドバイスを送られては、話がややこしくなるだけだし、(このヒト、私のこと何にもわかってない……)と失望されるだけなのである。男性ならテストステロンという男性ホルモンの作用によって、白黒をつけること、論破すること、それが快感であるから、とにかく決着をつけたい。しかし、女性は話をす

ること自体が脳に快感を得られるのであり、決して結論を出したいわけではない。だからこそ、女性へのアドバイスは「余計なひと言」と思うこと。これが女性に対する不変のルールなのである。

マニアックな話は大迷惑

「男のロマン」や「男の世界」などというと、 一見、「女には理解できないカッコいい男性ワールド」が広がっているように聞こえるが、女性には単なる「オタク」な話で迷惑しているらしい。かくいう私も大型家電店を訪ね歩くのが好きで、情報収集の場としても多いに役立っている。そこで同じようにウロウロしている人を注意してみると、圧倒的に男性が多いことに気がついた。男性同士が平日の昼間から、嬉々として商品に対するあらゆる知識を国にして盛り上がっているのだ。

しかし、パソコンといい、家電といい、アニメやフィギュアの類といい、ハマッたりコレクターになったりするのは、ほとんどが男性だ。女性はパソコンショツプよりも、カラフルな商品が並ぶデパートのほうを好む。そして、ひとたび男性がマニアックな話をし始めようものなら「また始まった……」と迷惑そうな顔を向けるのである。

ところで、なぜ男性がいわゆる「オタク」化しやすいのか。それは、やはり脳の特性によるものである。男性の脳は専門性が高いようにできている。″専門性が高い脳″とは、右脳と左脳の機能がハッキリと区別されているということになる。右脳と左脳の機能がハッキリと分類されていて、さらに右脳の機能が優れていると、どういうことが起こるか。

それは、医者の世界でたとえれば、自分の得意な専門領域の病気であれば知識や経験も豊富で自信を持って語ることができるということだ。男性は右脳機能がよく、情報処理の速い追求型の脳といえる。徹底的に一つの事柄を追求していくことに向いているのだ。ところが、専門外のことになるとサッパリわからず、しどろもどろになってしまうのも男脳である。右脳と左脳がハッキリと分類されている脳は、こういったケースがよく見られる。

会話力と問われる時代になってきた。

アメリカの法学者、キングズレー・ブラウンが著した『女より男の給料が高いわけ』(新潮社刊)によると、男性は女性より難しい仕事を好む傾向があると記述している。そして、たとえ失敗しても何らかの改良をしようと努力をするというのである。一方、女性は男性よりも簡単な仕事を選び、また失敗すると簡単にあきらめるという特性があるとも書いている。もしこれが事実だとするならば、今日の日本を築いてきたのは男性のオタク性によるものといっていいのではないだろうか。

事実、ノーベル賞受賞者はほとんどが男性であるし、新しい発明も男性が行なっていることが多い。 一つのことしか集中できず、好きなことについての話をすれば女性からイヤな顔をされる男性の脳だが、日本の企業がここまで世界的な規模に成長したのは、右脳的な男性脳のおかげなのかもしれない。

相手によって言葉遣いをコロコロと変える男性は、たとえ相手が同性だったとしても「信用できない人物」ということになる。それが女性や年下の人ならなおさらだ。いつもは普通なのに、お客の立場になった途端、店員に対して横柄な国の利き方をする人がいる。あれも一緒にいる人はいたたまれない思いをするので、やめたほうがいい

行為の一つだろう。優越性を示すことは、男脳にとっての快感である。しかし、それは他人にとっては不愉快に思わせてしまうことなのだ。言葉一つとっても、敏感に反応するのが女性の脳である。感覚性言語中枢が発達しているおかげで「聞き上手」である一方、言葉に含まれる微妙なニュアンスの違いもキャッチするのが得意なのである。

たとえば、「おはよう」と「おはようございます」という朝の挨拶にしても、前者と後者ではずいぶん親しさの度合いが違う。問題は、親しさの違いではなく、「無意識に言葉を使い分けている男性」にあるのだ。相手によって言葉遣いを変える男性は、女性からばかにされるといっていいだろう。

「相手によって、お世辞を言ったり見下したりするなんて、みっともない」と思われているわけだ。もともと女性から尊敬される男性というのは少ない。どんな能力があってもすべてにおいて尊敬される人は少ないものだ。だから女性に尊敬されるのは、かなり難しいことでもある。かの理論物理学者のアインシュタインでさえ、妻からは尊敬されず、ノーベル物理学賞の賞金を慰謝料に充てているくらいだ。

一番身近にいる妻から尊敬されるのは難しいことだったのだ。つまり妻は、夫の社会的成功や業績には興味がなく、あくまで自分にとってどれだけ意味のある男なのか、それを求めるのだ。ところが、男はこれだけ外で評価されているから、妻が尊敬するのは当然じゃないかと勘違いをしてしまう。女性が尊敬できる男性には、そこに一貫性のあるストーリーがあるといっていいだろう。裸一貫でコツコツと苦労をしてきたエピソードがあっても自慢せず、誰からも愛されるような大らかな性格は実は努力のたまものだったなど、聞かれればその人の内面をさりげなく語れる何かがあると、女性の心を打ちやすい。

であればなおさら、相手によってコロコロと態度や言葉遣いを変える男性は、「尊敬」とは対極にある人物になってしまうのも当然のこと。まずは、言葉遣いよりもその態度を改めなくてはならないだろう。人は本来、何かを達成すれば快感中枢にドーパミンが分泌され、「気持ちいい」と感じるメカニズムになっている。男性は仕事の成功そのもので快感を覚えるより、女性から尊敬されることで「気持ちいい」と思えるように努力をすべきだ。 一度、そんな快感を男脳が覚えれば「もっと尊敬されたい」といい方向へ転がっていくものなのである。

あなたは女性を呼び止めるとき、どんなふうに声をかけるだろうか。「すみません」は下手に出すぎの感じがするし、「あの―」では他人行儀……などと考えているうちはまだいいが、余裕がないときなど、職場で部下の女性社員についうっかり「おい!」なんて言ってはいないだろうか。

女性に対して「おい!」は、言ってはいけないフレーズのトツプにランクインする言葉なのである。そもそも「おい!」と呼びかける姿勢自体に、すでにパワーハラスメントが感じられる。ピンとこないようであれば、「おい!」と呼ぶシチュエーションを想像してみるといいだろう。……どうだろう、日常生活において「おい―」と呼ぶシチュエーションが、家庭以外にあっただろうか。

同級生のクラス会などがギリギリの場で、そこでは不用意に言った「おい!」のひと言が決定的な亀裂を生む。「おい、俺、お前」という会話が飛び出しているが、後はほとんどないというのが現実だと思う。

たとえばレストランで店のスタッフを呼ぶときに「おい―」なんてやっているようでは、同席している女性からも不快に思われて当然だろう。「お金を払っているのはこちらなのだ」という態度が透けて見えてしまうからだ。レストランでは「お願いします」や「すみません」が正解。たとえ、店のウエーターが自分より明らかに年下であったとしても、「すみません」と声をかけてオーダーすれば、同席している女性も好みのメニューを選ぶはずだ。

家庭でもパートナーを「おい―」と呼んでいる人は多数派ではないと思うが、もし心当たりがあるなら今日から改めてはいかがだろう。従属性の感じられる「おい!」という言葉で呼ばれて、嬉しい人はいない。これが家族でない場合ならなおさら、呼ばれた女性は理屈ぬきにカチンとくると思って間違いない。心の中では(あなたに『おい』呼ばわりされる覚えはないわ―)と怒りの炎がメラメラと燃えているのである。

「おい―」と呼ぶなら呼び止めないほうがマシ、呼び止めたいなら「○○さん」のように名前を呼ぶのが摩擦を生まないスマートな方法だろう。ある会社の社長さんは、家族と食事をした後、レジで料金を支払うときに係りの人に「おいしかったよ。ありがとう」と必ずひと言添えるのだそうだ。そして家族にも「今日は一緒に食事ができて楽しかったよ。ありがとう」と言っていたという。そこまであなたはできるだろうか。言葉は男の武器にもなり、凶器にもなるのだ。「おい」という言葉がいかに破壊的かわかるであろう。

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